用語集

ニト、マリ・エティエンヌ【ジュエラー/メゾン】

Nitot, Marie-étienne

1783年にマスターの資格を得たフランスのゴールドスミス&ジュエラー、マリ・エティエンヌ・ニト(1750-1809)は、パリのリュ・サントノーレにささやかなジュエラー兼時計師のメゾンをオープンした。1793年には、マリー・アントワネット王妃のジュエリーおよび貴重品の目録製作の委員会に参加。1803年、二トはオディオおよびブテとともにナポレオンの執政用の宝剣製作の用命を受けたことを契機に一躍有名となった。 “リージェント” ダイヤモンドをマウントしたその宝剣は、皇帝ナポレオンの戴冠式においても着用される。さらに、パリでの戴冠式に祝福を与えるために臨んだ教皇ピウス7世への皇帝からの謝礼のティアラを、ゴールドスミスのアンリ・オーギュストとともに製作した。ジョゼフィーヌ皇后御用達ジュエラーに任命されると、1807年にダイヤモンドのパリュールを、1809年にルビーとダイヤモンドのパリュールを皇后のために製作。その名声は国境を超え、ペルシエのデザインによるバイエルン王マキシミリアン1世のクラウンを製作するに至る。1809年、マリ・エティエンヌが他界すると息子のフランソワ・ルニョ(1779-1853)が絶頂期のメゾンを受け継ぎ、ショーメの現在地のプラス・ヴァンドーム15番地に移転した。1810年のナポレオンとマリー・ルイーズの結婚に際しては、メゾンは皇帝のギフトの2つのグランド・パリュール、エメラルドとダイヤモンドのものとオパールとダイヤモンドのものを始め数多くの用命を賜る。以後フランソワ・ルニョとそのメゾンは皇帝一族とその宮廷貴族たちに向けて数多くのジュエリーを製作するが、あり余る富を成した彼はメゾンの経営を工房長のジャン・バティスト・フォサンに譲渡して引退した。メゾンはフォサンからモレルを経て、現在のショーメに至っている。