バプスト・エ・フィス【ジュエラー/メゾン】
Bapst et Fils
ルイ16世の時代に南ドイツ出身のジャン・メルキオール・バプスト(1718-1770)によって創立されたパリの主要なジュエラー。そのジャン・メルキオールは、クラウン・ジュエラーのジャクマンの下で数多くの王室用ジュエリーを製作した。彼の息子のジョルジュ・フレデリック(1756-1826)は、新たにクラウン・ジュエラーとなったオーベールとともに1784年にはルイ16世の宝剣を、1788年には王妃マリー・アントワネットのための花のコルサージュ・ブローチを製作する。彼からメゾンを引き継いだ従兄弟のジャック・エヴラール(1771-1842)は、宮廷ジュエラーのP.N.メニエールの娘と結婚してバプスト=メニエールと改名。王政復古時代の1821年に正式にクラウン・ジュエラーとなってルイ18世のためにナポレオン1世のレガリアの改作を担当し、1824年にはシャルル10世の戴冠式用のジュエリーを製作。その後も一族は7月王政のオルレアン家や第二帝政下で宮廷ジュエラーを務めるが、1878年の万国博覧会でジュエリー部門の審査員長を務めたポール・アルフレッド(1823-1879)の死後2つのメゾンに分かれた。息子のジェルマン(1855-1921)はリュシアン・ファリーズと合併してバプスト・エ・ファリーズを立ち上げ、ポール・アルフレッドの従兄弟のジュールとポールは1880年にJ. & P. バプスト・エ・フィスを創立。そのJ. & P. バプスト・エ・フィスのメゾンは、1930年まで存続した。