ファニエール兄弟社【ジュエラー/メゾン】
Fannière Frère
フランソワ・オーギュスト(1819-1900)とジョゼフ・ルイ(1820-1897)のファニエール兄弟は、1839年にパリに彫金細工のアトリエを設立した。二人はともにゴールドスミスの叔父の弟子として修行を積み、その薫陶を受けて19世紀のパリの貴金属およびジュエリー界で主要な地位を占めるに至る。デッサンと彫刻の才に恵まれたオーギュストは、1876年までサロンにメダイヨンや小像を出展した。彼はジョゼフの仕事の理解者で彼に金銀細工の次いで彫金の手ほどきを授け、ジョゼフはそれに専心した。彼らは自らの製作の他、フロマン=ムーリスやヴィエズ、デュロン、ボーグランといった同業者たちの名前でも製作を行った。ルネサンス・スタイルのモティーフを使ったジュエリーで特に知られるが、それらは丸彫りや浮き彫りに彫刻されたキメラやプット、シレーヌ他のニンフたちがマスクやカルトゥーシュ、唐草とともに、エナメルと宝石、パールで装飾されたエレガントかつ洗練された構成の中に組み合わされている。1849年の産業博覧会、次いで1955年の国際博覧会には共同製作者の名前で出展し、1862年のロンドン万国博覧会ではファニエール兄弟として彫刻と彫金細工製品、豪華な金銀細工とジュエリーを出展しゴールド・メダルに輝いた。1867年の万国博覧会ではゴールド・メダルを受賞、1878年と1889年の両万国博覧会ではグランプリに輝いた。オーギュストは1855年にレジオンドヌール・シュヴァリエに、1878年にはオフィシエに列せられる。兄弟の死後は、ジョゼフの息子で彫金師のジェルマンが1911年までアトリエでジュエリーの製作を続けた。