用語集

ファリーズ【ジュエラー/メゾン】

Falize

1838年にパリのジュエラー、アレクシス・ファリーズ(1811-98)によって創立されたメゾン。創業者のアレクシスはルネサンス・リヴァイヴァルなどの歴史主義ジュエリーで名声を博し、1860年代からは息子のリュシアン・ファリーズ(1839-1897)とともにエナメルを駆使したゴールド・ジュエリーの製作で卓越を見せる。アレクシスはまた、日本美術に最も早く目を向けたジュエラーの一人で、リュシアンと共同製作者のエナメル細工師タールとともに、北斎を始めとする浮世絵版画をクロワゾネ・エナメルで再現したジュエリーを創造し、1867年のパリ万国博覧会で好評を博した。1876年に父親の後を継いだリュシアンは、1878年の万国博覧会ではグランプリを受賞。彼はアール・ヌーヴォーの先駆者の一人と見なされていたが1897年に他界し、息子のアンドレ(1872-1936)と2人の弟が後を継ぐ。リュシアンを継承した彼らのアール・ヌーヴォー・ジュエリーはラリックやフーケには及ばなかったが、彫刻的なジュエリーでは高い評価を維持した。1904年にはセルビア国王ペータル1世の王室宝飾品製作の用命を賜り、1922年にはルーマニアのマリー王妃のビザンチン・スタイルのティアラを製作するという栄誉を賜ったが、1936年のアンドレの他界によって閉店した。