用語集

フーケ、ジョルジュ【ジュエラー/メゾン】

Fouquet, Georges

ジョルジュ・フーケ(1862-1957)は、1891年に父親アルフォンス(1828-1911)がパリのアヴェニュ・ド・ロペラ35番地に創立したジュエリー・メゾンに加わり、1895年のアルフォンスの引退に伴って経営を引継ぐ。アルフォンスがネオ・ルネサンスや空想的な動物のテーマを好んだのに対して、ジョルジュはルネ・ラリックの作品を手本としてそれに倣い、たちまちにして宝石の価値よりも芸術性に重点を置く代表的なアール・ヌーヴォーのジュエラーとして名を成した。数々の国際的な賞を獲得した後の1902年頃、リュ・ロワイヤル6番地に移転するが、そのアルフォンス・ミュシャの設計による新店舗はアール・ヌーヴォー・スタイルの典型として評判を得、現在はパリ市立ミュゼ・カルナヴァルに収蔵されている。さらにミュシャは、1895年から1905年にかけてフーケが製作したジュエリーの多くをデザインし、その中には有名なサラ・ベルナールのためのジュエリーも含まれた。ジョルジュのすべてのジュエリーはアール・ヌーヴォーの精神と一致しており、自然からインスピレーションを汲みエナメルと色のある宝石で表現したものだが、ルネ・ラリックのものよりもよりシンメトリカルでまた想像力にはやや欠けるきらいがあった。常に光の効果を探求した彼はエナメルの他オパールも多用するが、最も好んだ宝石から「アクアマリンの父」と呼ばれた。1925年のパリ万国博覧会では準備段階から重要な役割を担い宝石部門の責任者を務めたが、その頃から作風はアール・デコ・スタイルへと移行する。これを担った息子のジャン(1899-1994)はアーティスト・ジュエラーとして自立し、メゾンの経営には加わらなかったが、1925年から1931年までメゾン向けにジュエリーを製作。しかしメゾンは1929年の経済恐慌を受けて財政破綻に瀕し、1930年代に閉店した。