マサン、オスカル【ジュエラー/メゾン】
Massin, Oscar
ベルギーのリエージュ出身のオスカル・マサン(1829年生、1892年引退)は、同市のジュエラーの許で徒弟修業を積むとともにアカデミーでデッサンを学んだ後、1851年にパリに出てジュエラーおよびデザイナーとして職を得る。そこにおいて才能を発揮した彼は、数年後には高名なジュエラーのレオン・ルヴナ(1809-74)のアトリエの主任に迎えられた。1855年には、同年開催の国際博覧会に王室ダイヤモンドとともに出展する、 “リージェント”をセンターにセットしたユージェニー皇后のための豪華なディアデムの製作の用命を賜る。その後、品質と仕上げの良さで定評あるイギリスのジュエラーたちに学ぶために一時渡英したり、他のジュエラーとのコラボレーションを続けたりするが1863年に自らのメゾンを立ち上げた。1865年頃にはセッティングの金属の干渉を最小限に抑える イリュズィオン・セッティングを開発。1867年のパリ万国博覧会では、出展した数多くのジュエリーの多様さとその構成および仕上げの品質に対してゴールド・メダルが贈られた。ジュエリーに軽さと動きを取り入れたアン・トランブランとパンピーユ装飾を洗練させたその技術レベルは、全ヨーロッパのジュエラーたちが手本とするほどのものであった。かくして彼により自然主義ジュエリーは最盛期を迎え、1892年に引退するまで筆頭のジュエラーとして大きな影響を与え続けた。