用語集

リュドルフィ、フレデリック・ジュール【ジュエラー/メゾン】

Rudolphi, Frédéric-Jules

デンマーク出身のフランスのゴールドスミス兼ジュエラー、フレデリック・ジュール・リュドルフィ(1808-1872)は、徒弟修業を積んだコペンハーゲンでロイヤル・アカデミーに一時(1834-35)学んだことが特筆されるが、パリに赴いてゴールドへの線刻を専門とする金銀細工師として職に就き、やがてゴールドスミス兼ジュエラーのシャルル・ヴァグネルの弟子にして共同製作者となった。1841年にヴァグネルが他界すると、メゾンの長としてこれを引き継ぐ。彼はヴァグネルの名声を維持するとともに、1844年の産業博覧会でメゾンにゴールド・メダルをもたらす。1849年の同博覧会では自らの名前で出展し、以後1851年と1862年のロンドン、1855年と1867年のパリ、1853年のニューヨークと主要な博覧会に参加していずれもゴールドまたはシルバー・メダルに輝いた。デンマークにも支店を持ち、息子のフレデリック・アリスティードが1865年からメゾンに参加した。ヴァグネル同様、彼は中世とルネサンスのアートへの偏愛を示し、ニエロと金銀象嵌、エナメル、ハードストーンの象嵌を好んだ。神話や宗教、騎士道文学などをフィーチャーした彼のジュエリーは、ロマン主義の時代の折衷主義を巧みに表現している。デンマーク国王の金銀細工師として大量の製品を同王室向けに製作した他、特に評価の高かったイギリスへの輸出は目覚しく、エジプトやトルコ、インドにまで輸出された。