ルヴナ、レオン【ジュエラー/メゾン】
Rouvenat, Léon
パリのゴールドスミス兼ジュエラー、レオン・ルヴナ(1809-1874)は、徒弟修業を終えた1827年にカルメットのメゾンに入る。1840年にシャルル・クリストフルがメゾンの経営者となるとそのまま留まって役職に就き、結婚により義理の甥となって1849年に彼の後を継いだ。1851年のロンドン万国博覧会に出展されたゴールドにダイヤモンドをセットしたクラウンと笏、アンセーニュは、ハイチ皇帝フォスタン1世の用命によるものであった。第二帝政下にあって彼は豪華なオブジェ・ダールやゴールドに宝石を飾った宝剣を製作するが、優れたデザインと非常に入念な仕上げのジュエリーによってとりわけ傑出した存在であった。彼は時代のあらゆる芸術的トレンドからインスピレーションを汲んだが、ネオ・グリークやエトルスカン、ルネサンス・スタイルを特に好んだ。そうしたクリエイションは1855年のパリと1862年のロンドンの博覧会にも出展されたが、1867年のパリ万国博覧会で頂点を極めた。自然主義の極致とも言えるダイヤモンドを敷き詰めた実物大のホワイト・ライラックのスプレイは、ブローチとしてもヘア・オーナメントとしても着用できるもので、博覧会終了後ユージェニー皇后によって購入された。彼は才能ある協力業者に囲まれていたが、1854年から1855年の短期間ながらオスカル・マサンやアルフォンス・フーケもともに仕事をした。その後も主要な博覧会に積極的に参加するが、1873年のウィーン万国博覧会ではギピュール(糸レース)を模したジュエリーの最初の見本を展示する一方、ユジェーヌ・フォントネとともに金銀製品に関するレポートを執筆する。翌年、1855年に授与されたレジオンドヌールのオフィシエに進級した。彼の死後もメゾンは名声を保ち、20世紀初頭まで継承された。