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ザクセン ゴールデン・ソサエティ騎士団の勲位のバッヂ

制作年 1569年頃
制作国 ドイツ
制作者 未詳
素材 エナメル、パール、ゴールド

作品説明

16世紀中頃のゴールドと多色のエナメルによるハート型のペンダントは、背中合わせに向き合った“C”のスクロールの間に配したフルール・ド・リスでアウトラインが付けられ、忘れな草が冠されて、その中に配された矢と刀に刺し貫かれた両面型のシールド・シェイプのプラークは、二つの手に握られF(IDE) S(ED) V(IDE)(忠実ながらも警戒怠りない)と頭文字が彫られた四角いプラークを冠したハートのところで出会う、銘刻によるインナーおよびアウターの縁飾りが囲んでいる。シールド・シェイプのプラークは、表側にVIRTUTIS AMORE 1569(高潔への愛のために)との銘刻による縁飾りの中にCO(N)STA(N)CIAと銘刻された、コンスタンシー(節操)を擬人化した錨を持った像が立っており、QUI PERSEVERAVIT USQUE AD FINEM SALUS ERIT(最後までやり通す者は救われん)と銘刻されたオープンワークのフレームに収められている。裏側は同じような銘刻の中に、信仰心を擬人化した像が立ちクロスと聖杯、律法の銘板を持っている。バッヂは、先端に背中合わせの“C”のスクロールが付いた2本のチェーンによるサスペンション・ループと選帝侯のクラウンに取り付けられ、下にパールが提げられている。

来歴

ザクセン選帝侯クリスチャン1世(1560-91)からブランデンブルグ選帝侯ヨハン・ゲオルゲ(1525-98)に贈られ、1874年にベルリンの大聖堂にある後者の墓の中で発見されたもの。それ以後、1943年に(目録ナンバー34930)ベルリンのシュロッス・モンビジュウ(わが宝石の城)から移動されるまでホーヘンツォレルン王室コレクションのひとつとなってきた。1945年にクロンプリンツ・ウィリアム(1882-1951)によって売却された。

解説

ザクセン選帝侯クリスチャン1世によって創設された、ゴールデン・ソサエティ・オブ・ザクセン勲位は友情のしるしとして、また忠節ある服務への感謝として与えられた。それは公に構成されたものではなかったため、確定されたナンバーや会合、像もなかった。とは言え、選帝侯クリスチャンから義理の父親、ヨハン・ゲオルゲ・フォン・ブランデンブルクに贈られたれたバッヂは、大いに珍重されたはずである。なぜなら彼はそれとともに埋葬され、また3点の肖像画(ストックホルムのナショナル・ミュージアム・オブ・ファイン・アーツとヴェルリッツのゴティッシェン・ハウス、ベルリンのシュロッス・グリュネヴァルト)の中でそれを見せているからである。

その他のバッヂ・オブ・ゴールデン・ソサエティは、5点のみが知られている。2点はミュンヘンのバイエルン国立博物館に収蔵されている。その2点(Inv no. T4221)のうちの1点は同じく1589年に遡るもので、プファルツ伯爵フリードリッヒ(1557-1597)の所有物であった(参照:『君侯の壮麗さ:ルネサンスの宮廷ジュエリー1550-1630』展覧会カタログ、1980年ロンドン刊、74ページ、cat 75h)。3番目のものはドレスデンの市立歴史博物館に収蔵されている。4番目のものは1849年にベルリンのシュロッス博物館の中の美術館のために購入され、5番目の1589年と同定されたものはライプツィヒのユージン・フェリクス・コレクションに入っていた(1886年10月25日にケルンで開催された彼のセール、ロット446、ill)。

1589年と1590年の記録の中で、ひとつの記載だけがゴールデン・ソサエティに当てはまる可能性があった。ゴールドスミスのハンス・デュル(ザ・ヤンガー)は、「6グラムのパール1点、2フローリンのものを含めて、デュカット・ゴールドで製作したハート1点」に対して12フローリン9ペンスの支払いを受けた(チェーンと逸品、シルバーに関する“レントカマー”の記録1586-1590年より)が、クリスチャン1世はこの工房からすべてのゴールド製品の供給を受けていた。存在する最も初期のゴールデン・ソサエティ・バッヂに対する請求書は1593年遡り、デュール・ザ・ヤンガーがチェーンを伴う2点のジュエリーに対して支払いを受けた時のものである。その他のすべてのゴールデン・ソサエティ・バッヂは、1594年から1601年にかけて任命された宮廷ゴールドスミスのウルバン・シュネーヴァイスに支払われた。

ゴールデン・ソサエティについて書かれた最初の記録は、1592年4月のクリスチャン1世の財産目録に出ているが、1591年彼の死後に記述されたものである。主に書籍や書簡、記録を収蔵する“シュライブステュブライン”として知られる部屋の中で、「選帝侯ソサエティを所有した人々の記録」が発見された。

選帝侯クリスチャン1世は、短命だったザクセンのゴールデン・ソサエティ勲位騎士団の創設者で、ザクセン選帝侯アウグストの6番目ながら生き残った2番目の男子として1560年にドレスデンに生まれた。1565年に兄のアレクサンドルの死を受けて、彼は嗣子となった。1582年、彼はブランデンブルク選帝侯ヨハン・ゲオルゲの娘ゾフィーと結婚し、二人は7人の子供に恵まれた。クリスチャンは1586年の父の死を受けて選帝侯の地位を継承し、1591年に没するまでザクセンを統治した。