作品名 | レディ・モンソン旧蔵 ティアラ/ネックレス |
制作年 | 1903年頃 |
制作国 | イギリス |
制作者 | 未詳 |
素材 | ダイヤモンド、シルバー |
ゴールドとシルバーによるガーランド・スタイルのダイヤモンド・ティアラは、交互に配した大き目と小さ目のペア・シェイプ・ドロップのコンポジットをグラデュエイションさせた連なりで構成されており、それらのドロップはチャンネル・セットとコレット・セットのフェストゥーンから吊り下がって、葉と花のクラウンの内側を飛ぶように揺れている。その連続の中の大き目のエレメントには、葉飾りのスクロールに挟まれた2個の、小さ目のエレメントには1個のコレット・ダイヤモンドが冠されている。ネックレスへの変換が可能。全面にわたってオープン・セット。
アメリカ、ニュー・ジャージー出身の陸軍大将ロイ・ストーンの娘の第9代レディ・モンソン(1903年結婚、1943年没)、そしてニューヨークの銀行家ローレンス・ターナーの未亡人、その後は相続による。
故ハンス・ナーデルホッファーの『カルティエ、並外れたジュエラーたち』(1984年刊)は、ここにあるように、18世紀の装飾芸術に由来するスワッグとフェストゥーン、葉と花のモティーフを用いたジュエリーにガーランド・スタイルという名称を与えた。フランスのルイ16世とマリー・アントワネットの宮廷の優雅さを呼び起こす優美にして繊細なガーランド・スタイルは、ベル・エポックの先導的な女性たちによって好まれた。1890年から1914年にわたるこの時代はまたティアラの黄金期でもあり、階級のシンボルであったそれはすべてのフォーマルなイヴェントにおいて着用され、顔のあらゆるサイドにおいて優美に高く結い上げてふくらませた“ポンパドゥール”スタイルのヘアに冠された。このモンソン・ティアラの効果は、光が頭のひとつひとつの動きに連れてスウィングするダイヤモンド・ドロップを捉えることから、彼女の背丈と威厳を増すとともに、すべての視線を惹き付けるところとなった。多用途なこのティアラは、頭を取り巻くフレームを取り外した時には、当時ファッショナブルであったロー・カット・ガウンとともにエレガントなネックレスとして着用できるようにデザインされた。1903年の『ザ・レディーズ・レアルム』(淑女の領分)誌に「マナーが大変魅力的な、ダークでスレンダーなとてもかわいらしい女性」と書かれた彼女はまた、その惚れ惚れとするような声でも有名であった。彼女の夫である第9代モンソン男爵、オーガスト・デボンナー・ジョン・モンソンは、1897年から1900年まで伯父のサー・エドワード・モンソンの個人秘書として活動した。その伯父とは、ヴィクトリア女王の最年長の息子であるサックス・コーブルク・アンド・ゴータ公爵の侍従武官として父親の後を継いだパリの駐仏イギリス大使であった。パリのイギリス大使館での彼のロメイン・ターナーとの結婚はアメリカの富をもたらし、それが彼らのロンドンやニューヨーク、パリにおける王室および外交官のサークルでの活発な社交生活を財政的に支援した。頭上に冠しても首に着用しても、レディ・モンソンはこの高邁な世界における自らの地位を主張するために、このジュエリーを頼みとすることができ、またその装いの効果を完全なものにすることができた。モンソン一族の祖先の居宅であるバートン・ホールは、広大なリンカンシャー・エステイト(地所)の中心にあった。そのエステイトにおいて一族は14世紀以来、継続的に生活を営むとともに、社会生活において重要な役割を演じた。ガーランド・スタイルの優雅さを要約するものであるとともに、20世紀の間に数世代を通じて継承されてきたこのティアラ/ネックレスは、特にレディ・モンソンと同時代のマールボロー公爵夫人コンスエロ・ヴァンダーヴィルトに代表される“ダラー・プリンセス”たちがいくつかの最も古い一族たちと、その伝統とタイトル、格式に惹かれて結婚した時の英国史における一時代を思い起こさせるものである。