close close
/home/vuser/5/4/0005745/www.albionart.com/wp/wp-content/themes/original-theme/single-jewel.php on line 25
">

ロシアン クラウンジュエル ダイヤモンド リボン チョーカー

制作年 1760年以降
制作国 ロシア
制作者 未詳
素材 ダイヤモンド、ゴールド、シルバー
サイズ L360mm

作品説明

18世紀中期の帝政ロシアにおいて極めて重要なダイヤモンド・ネックレスとセットになったダイヤモンドのリボン・ブローチ。ネックレスは、オールド・カット・ダイヤモンドの縁取りの中に、わずかに大きさの異なる25石のクッション・シェイプのオールド・ブリリアントカット・ダイヤモンドのコレットがグラデーションするように配されており、すべてシルバーにセットされている。中央には透かし細工が施されたフローラル・クラスターのリボン・ブローチが据えられ、その周囲の葉飾りのデザインにも同様にダイヤモンドが散りばめられている。個々のピースを保護する同時代の専用フィットケース付き。

 

来歴

ロシアのクラウン・ジュエルズ、A. E.フェルスマン著『ロシアの財宝 ダイヤモンドと貴石』(1925年刊)、ネックレス No.195、プレートXCV、1927年にクリスティーズ・ロンドンにて売却(ロット71)、またボウ・ブローチはフェルスマン No.128、プレートLXV1、1927年にクリスティーズ・ロンドンにて売却(ロット59)。

 

解説

これらのジュエリーは、2点の個別のアイテムとしても、センターピースを伴う1点のネックレスとして考えても、それ自体が注目に値するだけでなく、帝政ロシアの来歴が作品の重要性を裏付けている。それらは、ロシアの女帝エカテリーナ2世のまばゆい栄華、彼女の宮廷と庭園、宮殿、美術品コレクション、記念碑の壮麗さを想起させるものである。34年にわたりヨーロッパの政治舞台において最も傑出した人物であり、シベリアからポーランドに広がる強大な帝国を支配するとともに、1796年のその逝去に際しては、1762年に戴冠した時以上に強力で巨大かつ裕福な帝国を残した。専制君主であったエカテリーナ2世は、女帝としての権力と地位を誇示するためにダイヤモンド・ジュエリーを活用した。冬の宮殿のブリリアント・ルームの壁一面に並ぶガラスのキャビネットにダイヤモンド・ジュエリーを陳列し、海外やロシアの植民地から、さらにはサンクト・ペテルブルクに住まう外国の商人や職人たちから絶えず新たなジュエリーを購入した。最も有名なジュエラーとしては、40年にわたってサンクト・ペテルブルクに滞在したレオポルド・フィステラー、ジュネーヴのジェローム・ポズィエ、そして彼の同胞であり、その後2世代にわたってロシア皇室に仕える会社を設立したルイ・デュヴァルが挙げられる。

彼女の宝物庫に収蔵されていたこのネックレスとリボンは、18世紀後半にヨーロッパにおける宝飾芸術が、その優雅なデザインと完成度において、後世に類を見ない頂点を極めたことを示している。エカテリーナ2世は、莫大な国家歳入とウラル山脈の豊かな鉱物資源を背景に、入手できるものには制限がなかった。そのため、彼女の宝石コレクションは、他のどの国の宝石よりもはるかに荘厳かつ堂々としたものであった。この2つのジュエリーは、エカテリーナ2世が6頭のペットのグレイハウンドを従えて、ブリリアント・ルームで国家行事のための宝石を選び、次に隣のシャンブル・ド・トワレ(化粧室件衣装室)に移動する姿を思い起こさせる。そこでは美容師が、ロシア風のココシュニック・ティアラやエイグレット、あるいはこの蝶結びのリボンのような宝石をちりばめたピンで彼女の盛り上がった髪に華を添え、ダイヤモンドのネックレスで首もとを飾る。絵のように美しいゆったりした袖のモスクワ風のガウンを着た彼女は、盛大なレセプションやガラ・ディナー、宮廷舞踏会へと赴いたであろう。これらのジュエリーは彼女に比類なき威厳のオーラを与え、彼女の臣下たちから際立たせ、したがって臨席するすべての人に正に彼女が誰あらん、エナテリーナ大帝であると知らしめたのである。