close close
/home/vuser/5/4/0005745/www.albionart.com/wp/wp-content/themes/original-theme/single-jewel.php on line 25
">

アール・デコ カルティエ オニキス ペンダント 

制作年 1910〜1920年頃
制作国 フランス
制作者 カルティエ
素材 ダイヤモンド、オニキス、プラチナ
サイズ L63mm,W53mm

作品説明

この長方形のペンダントは、エジプト神殿のパイロン(神殿正面入り口に立つ塔の形をした門)をかたどっており、上部にはコーニス(建物あるいは壁を完成させる水平に形作られた突起部)がデザインされている。プラチナ製の台座にダイヤモンドを配し、カボションカットのオニキスが建築的な装飾模様と、中央にあるモチーフの細部を引き立てている。ペンダントの中央には卵形の花瓶があり、左右対称の渦巻き模様にダイヤモンドを配した蓮の花が4輪咲いている。ユラユラと揺れるダイヤモンドを配した3つの吊り飾りがこのペンダントを彩っている。上部には2つの丸いリングがあり、シルクの紐を通せば古風な装いのネックレスとして身につけることもできる。

 

解説

美術愛好家でありコレクターでもあったルイ・カルティエ(1875-1942)は、18世紀末にナポレオンのエジプト征服後に出版された古代エジプト王国の美術に関する重要な著作『エジプト誌(Description de l’Egypte)』を何巻も個人書庫に所蔵していた。この書物およびそれに関わる宝物の詳細な実地調査により、18世紀から19世紀にかけてエジプトへの関心が高まり、アンピール様式にも大きな影響を与えることとなった。
1922年にツタンカーメンの墳墓が発見されたことにより、エジプト王室用の実際の宝飾品を鑑賞する初めてかつ唯一の機会を得たことで、世界は「エジプト的」な美意識に夢中となった。パリの偉大なジュエラーたちはすぐにこの美意識を取り入れ、アール・デコ様式の直線的で幾何学的な構成がエジプトの華麗な装飾様式と見事に融合することとなったのである。
しかし、ルイ・カルティエは1910年代初頭から、エジプト美術に関する知識を生かしてエジプト神殿のパイロンをデザインした作品を制作しており、ツタンカーメンの墳墓が発見される何年も前からエジプト美術を主題とした作品を制作していたことは、彼の天才的な才能の一端を物語っている。
彼は1923年過ぎから、スカラベや小像などの小さくて古風な装飾物もジュエリーに取り入れるようになったが、1910年からそれまでは、主に建築物の形状からインスピレーションを得ていた。その中でもルイ・カルティエは、神殿(ホルス神を祀ったエドフ神殿や、イシスを祀ったフィラエ神殿など)の入り口にある全体が浅い浮き彫りで装飾されていることの多い、二重構造の出入り口を形作る石造パイロンの形状を宝飾品や置物に取り入れ、このような遺跡の堂々とした佇まいを感じさせる存在感のある作品に仕上げた。この出入り口を形作るパイロンは、俗世と神聖な世界を隔てるものを象徴しており、パイロンの向こう側にある物は全て聖なる存在なのである。
見事なマザー・オブ・パールとハードストーンを用いて1927年に製作された置時計は、それを感じさせるような素晴らしい作品であり、また、ダイヤモンドとオニキスを散りばめたパイロン型の美しいペンダントのシリーズ作品は、1910年代から1920年代にかけて製作されたものである(1913年制作のカルティエ・コレクションの有名な作例を参照のこと、ルド著、139ページ、No:NE 01 A13)。
本作ペンダントの貴重な石膏鋳型がカルティエの展覧会カタログにあり、本作とよく似た作品も存在していることがわかる(『Cartier 1900-1939(カルティエ 1900-1939)』77ページ、下図参照)。1922年にツタンカーメンの墳墓が発見され、ツタンカーメンのミイラや宝物室から見つかった143点にも上る宝飾品の中には、パイロン型のペンダントが少なくとも6点含まれていたことが分かっている。