制作年 | 1760年頃 |
制作国 | ロシア |
制作者 | 未詳 |
素材 | パール、ダイヤモンド、ゴールド、シルバー |
サイズ | L102mm, W74mm, H18mm |
このエイグレットはそれ自体として美しいだけでなく、このロシア帝国のプロヴナンスがそれをして正に最も高いクラスのものにしている。それは特徴的にロシアのものである荘厳さを具えており、またこれらの3本の羽根は風に吹かれているかのようにわずかに傾いている。エレガントに撚られたリボンによって束ね合わされた葉の生えた茎の上の花は、他のいかなる国にも創造できない精緻さで仕上げられている。加えて、あらゆる動きに揺れるソフトにゆらめく光のパール・ドロップとホワイト・ダイヤモンドのきらめきの混じり合いは、それぞれの宝石の最良な品質を引き出している。1613年のロマノフ家の支配以来、輝かしさの顕示およびビザンティン・スタイルの宮廷セレモニーは国家の頭首の権力と権威を維持する不可欠の手段として見なされていたことから、この美しく貴重なジュエリーは、皇室一族の地位を主張する手段として着用された。18世紀を通して、この伝統がエリザヴェータ皇后(1741-62)とその後継者のエカテリーナ2世(1762-96)によって継承された。
シベリアからポーランドにまでわたる広大な帝国の支配者として、エカテリーナは壮麗なジュエリーの効果をよく知っており、「重要なことは、どこであれわれわれが到着すると、民衆がわれわれの誰が女帝であるか判るということです」と説明している。公衆の場への登場用に、このエイグレットは彼女の結い上げた髪の中にあしらわれたもので、また次に、絵のようなルーズ・スリーヴのモスクワ風ガウンに飾られて、彼女はレセプションやガラ・ディナーあるいは宮廷舞踏会に出席したものであり、フランス人アーティストのエリザベート・ヴィジュ・ルブランによれば、「彼女はまるで世界の女王のように」見えた。その長い治世を通して、彼女は自らの壮麗なコレクションに追加をし続け、冬の宮殿のブリリアント・ルームの壁に沿って並んでいるガラス・ケースの中に展示した。彼女は数名の宮廷ジュエラーを雇っており、彼らの中で最も重要な人物はジェレミー・ポズィエ(1716-1779)と1754年からの彼のパートナーであるルイ・ダヴィッド・デュヴァル(1727-1788)であったが、しかしこのエイグレットにはサインが入っていないので、どちらの作とも帰することができない。とは言え、それはロシアの華麗さへの趣味にエレガントなパリ・スタイルのジュエリーを適応させている点において、疑いもなく彼らの功績であることを例証している。
その他の国々においては支配者一族のジュエリー・コレクションの数々は、遺産や革命、侵略、戦費調達によって散逸してきた一方で、これはロシアにおいてそうではなかった。ロシアでは、それらのコレクションが冬の宮殿の皇室宝物庫の中に永久に保管されるとともに、2世紀を超えて元のままに保たれている。1917年の革命の後に、壮麗かつ歴史的なコレクションの価値評価を行うために委任が決定され、写真付きの宝物のカタログがロシアのアレキサンドル・フェルスマンによって著述された。『ロシアの財宝 ダイヤモンドと貴石』(1925年刊)がそれであり、773点ものアイテムがカタログに載っている。最も不幸なことに、ソヴィエトは、古物国家機関を通して始めた莫大な分散が、歴史的なアイテムの多数を売るシンジケイトのセールにおいて頂点に達する。同シンジケイトは、1927年3月16日のロンドンのクリスティーズのオークションでの売却のためにいくつかを送った。フェルスマンのカタログの中の no. 145にあるこれのようなその他のアイテムは、美術市場に向けて個別にロシアの外へと自らの道を拓いた。残余の、現在114の番号がつけられた作品は、1967年以来クレムリンのダイヤモンド・ファンドによって展示されてきた。ロシア皇室のプロヴナンスを持つこれらのジュエリーの非常に多くがそうであるように、このエイグレットは、それが“グレート(大帝)”のタイトルを与えられた数少ない女性統治者のうちの一人と結び付いているがゆえに、主要な歴史的かつ芸術的な意味のあるものである。