作品名 | ショーメ製作 ピンクスのティアラ |
制作年 | 1905年頃 |
制作国 | フランス |
制作者 | ショーメ |
素材 | ダイヤモンド、プラチナ |
ショーメによるダイヤモンドとミルグレインを施したプラチナのティアラは、茎と蕾のサークレット(飾り輪)から立ち上がる茎に、アン・トランブラン(揺れる仕掛け)にマウントされたピンクス(“ディアンサス”ピンクスのラテンネーム(アメリカナデシコ))のグラデュエーションしたグループで構成されている。全面にクッション・シェイプのオールド・ブリリアント・カットおよびローズ・カット・ダイヤモンドがセットされ、センターに重量19.56カラットのオールド・ブリリアント・カット・ダイヤモンド(ペンダント用として着脱式になった)が配されている。ショーメ・パリ製作。
マダム・アンリ・ヴェンデルから、息子のフランソワにそのオデット・ユマンとの結婚に際して、その後はド・ラ・ロシュフーコー一族のメンバーの子孫に継承されたもの。
ここにおいてジョゼフ・ショーメは、すべてのジュエリーの最高峰に位するティアラへの自らの熟達を示している。当時の主流のジュエリーの中では珍しいこの自然主義的なピンクスのテーマは、アール・ヌーヴォーの影響を示しているが、素材価値の高いプラチナとダイヤモンドによって表現されている。この花の選択が結婚のギフトとして非常にふさわしいものである点は、花言葉においてクローヴ・ピンクス(カーネーションの一種)は真の愛を象徴するために用いられることもあるからである。
ショーメは、風にそよぐかのように動く軽やかで繊細な花々のブリリアントな効果を、センターからよりいっそう明るく輝き立つ大きなダイヤモンドを用いて創造した。このダイヤモンドは、ペンダンドとして使うために着脱式になっている。1905年11月10日のこのピンクスに彩られたティアラの配送から数週間後、マダム・ヴェンデルは同じくピンクスを象徴するストマッカー・ブローチを受け取った。かくして彼女の義理の娘は、必要な時にはアン・スュイットになった2点のアイテムを着用した。同じようなデザインでエメラルドとダイヤモンドを使ったイギリス人の顧客の為に作られた作品が記録されている。影響力の強いヴェンデル一族は、1704年に南東フランスのアヤーンジュに設立された製鉄王たちの王朝に属しており、彼らはナポレオンの常勝軍に大砲を供給していた。それ以来、ヴェンデル家は鉱業と産業のその他の分野へと多角化して繁栄を続け、20世紀の間に妻がこのティアラを着用したフランソワはフランス銀行の理事となった。