作品名 | トパーズとアクアマリンのパリュール |
制作年 | 1820年頃 |
制作国 | 未詳 |
制作者 | 未詳 |
素材 | ゴールド、アクアマリン、ピンクトパーズ |
スクロールと葉、カトルフォイル(四葉飾り)が刻印されたゴールドのパリュールは、ピンクトパーズとアクアマリンをセットしトレンブラン(揺れる仕掛け)にマウントされた5つのブーケで構成されており、ロゼットブローチとネックレス、セヴィニェブローチ、ベルトクラスプ、イヤリング、ペアのブローチがセットになっている。
このフェミニンかつ愛らしいパリュールはそのものが魅力的であるだけでなく、興味深いプロヴナンスを有している。輝かしい戦歴の軍人であるエドゥアルド・モンティエは、1804年にナポレオンによって創設された最初の元帥のリストに名を連ね、1808年ニトレヴィーゾ公爵に任命された。ナポレオンの失脚後、彼の才能は復古王政のブルボン王朝によって認められるとともに、1830年から31年にかけてサンクトペテルブルクのフランス大使として、1834年から35年にかえては戦争大臣としてルイ・フィリップに仕えた。彼はコルシカのアナーキスト、フィエスキが企てた暗殺からルイ・フィリップを護って死んだ。彼の長女のキャロリーヌはナポレオンとルイ18世の宮廷という環境の中で育ち、外交官のマリー・イポリット・ギュリー・ド・リュミニー(1784-1871)と結婚した。彼は在スイス、次いで在トリノ(1836-40)、在ブリュッセル(1840-48)のフランス大使を歴任した。
このパリュールは、リュミニー侯爵夫人としての彼女の極めてフォーマルな宮廷ライフに不可欠のものであった。彼女の髪や顔の側面に垂れ下がるイヤリング、ネックレスに取り付けるか深いネックラインのセンターにピン留めされたセヴィニエ(ブローチ)、胸部のすぐ下の高いウェストラインにあしらわれたベルトクラスプ、そして両手首にはブレスレットを、彼女はいかなるイベントにおいても自分のものとして披露したであろう。
これが非常にファッショナブルであったのは、煌めくイエローゴールドと輝くピンクトパーズ、ソフトなアクアマリンの色鮮やかなコンビネーションと、さらに動きに合わせて光を捉える自然主義的なブーケの魅力が、ロマン主義の時代の趣味を象徴しているからである。ロマン主義に先行したのは、ナポレオンと結びつくより厳格な古典主義のエンパイアスタイルであった。このリュミニー家の婚礼は、トレヴィーゾ公爵夫妻にこのパリで最新就航のパリュールを購入するきっかけを作ったと思われるが、かくしてそれは専用のボックスに入れられ、レセプションのために複数の応接室に飾られた花嫁のジュエリー、トルソーとともに展示されるところとなった。そのレセプションは、1819年の婚礼の署名に続いて執り行われた。
トレヴィーゾ公爵(1768-1835)、モルティエ元帥からその娘、リュミニー侯爵夫人(1800-42)キャロリーヌ・モルティエへ、以後その子孫へ。