制作年 | 1950年頃 |
制作国 | フランス |
制作者 | ピエール・ステルレ |
素材 | ダイヤモンド、プラチナ、ゴールド |
サイズ | L53mm,W57mm, H22mm |
非常に美しい左右非対称のブローチ。しぶきを立てるような波は平らな部分と捩った部分を持つゴールドの糸の層から成り、散りばめられたラウンド・ダイヤモンドはゴールドの背景から浮き立つようにセットされ、まるで水滴のようである。ループのような曲線部にセットされたダイヤモンドの突起状の飾りが波がしらのように被さり、その下の複雑な造りに軽みと輝きを与えている。このブローチは曲線状の二重のピンにマウントされている。裏面にはピエール・ステルレを表すホールマークが9667という識別番号とともに刻印されている。おそらくは一点ものの注文番号を示しているのであろう。
ピエール・ステルレ(1905-1978)は、戦後の非常に重要なフランス人ジュエラーの一人であり、当時のデザイナーとしては最も独創的な人物でもあった。
パリのジュエラーであった叔父に習い、1934年にはサント・アンヌ通りに、1945年にはラぺ通りからほど近いオペラ通りに拠点を移し、直ぐに彼の作品と分かる個性的なスタイルを確立していった。
瞬く間に当時の偉大な宝飾店へ作品を納入するようになり、ブシュロン、オステルタグ、ショーメなどが彼の大胆なデザインを問題なく受け入れるようになる。
そのスタイルには動きがあり、常に金細工の最新の職人技を取り入れていた。彼のデザインの先端性は、作品に空想的な感覚を与え、その形態にダイナミックな飛躍をもたらした。慣習に捕らわれることなく宝石の色彩を自由に操りながら、石を集めたり、あるいは他の石と織り交ぜて用いた。
彼の金細工は真に素晴らしい技術であり、何世代にもわたって賞賛されてきたレベルであった。ゴールドにブロンズを混ぜ、その材質を極限まで酷使することで様々な可能性と輝きを引き出している。糸状にし、ギヨシェ加工を施し、鑿を使い、あるいは編み込んだりして、彼が「フロシュ(ふわふわしたもの)」と呼ぶチェーン状にしてゆくのである。布やトリミングのように柔らかい動きを感じさせるそうした細工でイヤリングやブローチなどを制作してゆく。これがステルレの真骨頂である。
左右非対称で強い動きのある彼独特の造形に秀でており、様々な抽象的な作品を流線的、流動的あるいは放射状の形態で構成していったが、それらは常にバランスが保たれていて新しかった。形象的な主題(星、貝、鳥および自然界からの他のインスピレーション)は1940年代から60年代にかけてフランスのあらゆる宝飾芸術家が手掛けているが、ピエール・ステルレの作品はその中でも彼の作品と直ぐに判別できるものであり、意外性に富んだ非常に優美なものであった。
当時高名な女性なら誰しもがステルレのジュエリーを持っていた。例えば、偉大な作家コレットは彼の作品に魅了されていたし、エジプトのファールーク王やバロダのマハラニをはじめとする様々な著名人が彼のジュエリーのコレクターであった。彼の大胆なデザインとスタイルはシンプルなイブニング用のジュエリーに非常に良く似合うが故になおさら人気を博したのであり、こうした装いが当時のジュエリーに大きく影響を及ぼした。ステルレはジュエリーを古典的な束縛から解き放ったが、これは特に彼の考えを完璧に再現する方法を知っていた有能なデザイナー達のお陰でもあった。
高い教養を身につけ芸術に情熱を注いだが、商才には恵まれていなかったステルレは、1961年にショーメに話を持ち掛け、顧客の一部を保持しながら自らの築いたものを手放して、自らはショーメ社の芸術および技術顧問となった。当時のデザイナーであったベアトリス・ド・プランヴァルとともに花の形状(蓮とアルムユリ)のジュエリーを手掛けているが、その現代性は驚くべきものであった。
ピエール・ステルレのスタイルは、まるで花火のような豊潤さ、輝きそして自発性に満ちている。それは非常に高い技術に裏付けされており、だからこそ賞賛を呼ぶのである。