作品名 | ファンシー・カラー・ダイヤモンドのペンダント |
制作年 | 1910年頃 |
制作国 | 未詳 |
制作者 | 未詳 |
素材 | ダイヤモンド、プラチナ |
このオープンワーク・デザインのプラチナのペンダントは、上にペア・シェイプのファンシー・カラー・ダイヤモンドを色彩効果として冠し、その下のエレメントを埋めるナイフ・エッジとダイヤモンドによるクモの巣のパターンのセンターには、ファンシー・カラーのオーヴァル・シェイプのダイヤモンドが色彩効果として配されている。さらにそのダイヤモンドから1列に吊り下がるライン状のホワイト・ダイヤモンドとファンシー・グリーンおよびファンシー・ブルーのダイヤモンドは様々なシェイプとサイズから成り、その両脇のコレット・ダイヤモンドのチェーンの先端には、ペア・シェイプのホワイト・ダイヤモンドが大きめのオブロング(角の丸い長円形)型のエレメントの両サイドに配されており、そのエレメントに収められた2つのオープンワーク・パターンのフローラル・スプレイ(花付の枝状装飾)の間には、大きなオーヴァル・シェイプのファンシー・カラー・ダイヤモンドが色彩効果としてあしらわれ、ホワイト・ダイヤモンドのフレームで囲まれている。下に吊り下がる葉付のダイヤモンド・スプレイとコレット・ダイヤモンドのチェーンは、1個の大きなペア・シェイプのホワイト・ダイヤモンドを支えている。
ファイン・ウォーターで大きなサイズのホワイト・ダイヤモンドは相当に稀少であるが、ファンシー・カラー・ダイヤモンドはさらにより稀少であり、またそれゆえにオブジェ・ダール(美術品)としてコレクターや鑑識眼のある愛好家たちに何世紀にもわたって賞賛されてきた。カラーとブリリアンスが結び付いたそれらは、ジュエリー用としても捜し求められてきたもので、A. ケールは著書の『貴石の科学』(パリ、1826年)の中で、18世紀の間、ファンシー・カラー・ダイヤモンドはホワイトより圧倒的に高価で、特に趣味がよく裕福なフランス人の男性と女性に愛好されたことを指摘した。彼の観察は、芸術愛好家のポンパドゥール侯爵夫人(1764年)の遺品ジュエリーの目録によって確証されているが、彼女のコレクションにはイエローとホワイト・ダイヤモンドのネックレスとイヤリング、複数のブローチおよびブレスレットのスイートが含まれ、またマリー・アントワネット王妃はブルー・ダイヤモンドをセットしたジュエリーを着用していた。その他の有名な実例は、ムガール帝国の皇帝たちやオットマン帝国(オスマン・トルコ)、フランスやザクセン、バイエルン、ロシアの元首たちの国家宝物庫の中にあった。このサイズとクォリティのファンシー・カラー・ダイヤモンドの総体としての稀少性と美しさは、このペンダント・ブローチにそれらをマウントしたジュエラーに相当に大きな挑戦をもたらしたに違いない。彼は自らの軽快でシンプルなデザインにこれらの石を配置することに成功したが、それらの石はカットもサイズもシェイプも非常に異なっており、相互にコントラストするとともに補い合って大いなる効果を生んでいる。さらに、それらをよく見せるためにペンダント・ブローチを選択したことは、ベル・エポックの時代におけるこのジュエリーの重要性を反映しているが、当時は女性が夜会において真にきらびやかな効果を得ようとするのであれば、胸の上のペンダントが頭上に冠するティアラと同様に不可欠のものであった。この豪華なジュエリーは、レースでトリミングしたホワイトかパステル・カラーのドレスのフロントにピンで留められることで、ただちにその所有者が高い階級の人物であることを証明したであろうし、さらに彼女を見やるすべての人の注目を集めたに違いない。