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ロシアンクラウンジュエル ダイヤモンドとサファイアのスプレイ

制作年 1740〜1770年頃
制作国 ロシア
制作者 未詳
素材 サファイア、ダイヤモンド、シルバー、ゴールド

作品説明

18世紀中葉のロシア製のシルバーとゴールドにマウントされた、ダイヤモンドとサファイアのペアのスプレイは、先端にサファイアとダイヤモンドの蕾を付けたそれぞれの茎が、ダイヤモンドの葉とセンターにサファイアを配した花々へと枝分かれしており、ボウノットで結ばれている。

プロヴナンス

初代ローズ子爵リチャード・パーソンズ(1656-1703)とその妻であるマールボロ公爵夫人サラの姪であるフラフランシス・ハミルトンからの相続による第6代ローズ伯爵(1906-1979)の資産。

解説

18世紀の間にロシアは3人の皇后(または女帝)、アンナ皇后(1730-40)とエリザベート皇后(1741-1761)、そして女帝エカテリーナ2世(1762-1796)によって統治されたが、彼女たちはそれぞれロイヤルの地位を示すために壮麗なジュエリーを着用した。重要な宮廷の用命に誘引され、移住したジュエラーたちは、パリで流行しているロココ・スタイルのジュエリーをロシアにもたらした。そこにおいて、スイス生まれのジェレミー・ポズィエ(1716-79)とルイ・ダヴィッド・デュヴァル(1727-90)は、皇后たちの輝かしさへの欲求によってインスピレーションを与えられるとともに、大量の貴石が彼らの自由に任されて、ヘア用かボディスにピンで留めるためのロココのフローラル・スプレイの比類ないシリーズを創造した。このタイプのジュエリーの大半が消滅してしまったのに対して、ここにあるようなこれらロシアの実例はインペリアル・トレジャリー(帝室宝物庫)に残っており、1917年のロシア革命をすら生き延びた。しかしながら、1920年代にソヴィエト政府は兵器の代価を支払うための資金調達を行い、帝室コレクションから着服した重要な芸術作品を売却した。あるシンジケートに売却された素晴らしくかつ稀少なジュエリーのコレクションは、次いで1927年3月16日にクリスティーズによって売り捌かれた。このセールは、市場に登場する18世紀および19世紀初頭のあらゆるインペリアル・ロシアン・ジュエリーの主要な出所源である。