ホルニック、エラスムス【ジュエラー/メゾン】
Hornick, Erasmus
アントワープ出身のベルギー人ゴールドスミス&ジュエラーのエラスムス・ホルニック(活動期1550-83)は、ユグノーとして母国を逃れ1555年にドイツのアウグスブルクに落ち着く。ニュルンベルクでも活動し、1582年にはルドルフ2世から宮廷ジュエラーとして招聘を受けてプラハに赴いた。その間1562年と1565年にニュルンベルクにおいて2つのシリーズの版画によるデザイン・ブックを出版するが、デザイン画の多くは神話や聖書、寓意に基づく像(バロック・パールを胴体に見立てたものなど)やドラゴン、ヒポカンポスを表現したペンダント用のものであった。もうひとつのペンダント用の新たな建築的スタイルは円柱をあしらった背景の中にニッチを設け、そこにエナメルを施したプットなどの像を配したもので、マニエリスム・スタイルの典型としてハンス・コラルトを初めとする同時代のジュエラーたちに大きな影響を与えた。