マルシャン、ピエール・エドゥアール【ジュエラー/メゾン】
Marchand, Pierre-Édouard
パリのジュエラー、エドゥアール・マルシャン(1800生)は、1848年の革命による経済危機の煽りを受けて3年間のロンドンに住まいを余儀なくされるが、そこではモレル社のアトリエに職を得て主任として働いた。ロマン主義の美学を最初に採用したひとりである彼は、過去の装飾技法からインスピレーションを汲み宝石やカメオを縁取るルネサンスのキュイール・ルーレによって1835年頃に名を成す。リボン・ボウや古代ギリシャ由来の様々なモティーフに加え、彼はオリエント趣味の流行にも敏感で、1840年頃にアルジェリアン・ノットのモティーフを導入した。彼はフォサンやジャニセといったパリの多くの重要なメゾンのために仕事をしたことで、また傑出したジュエラーであるユジェーヌ・フォントネに徒弟修業を授けたことでも知られる。