モーブッサン【ジュエラー/メゾン】
Mauboussin
パリのジュエリー・メゾン、モーブッサンは1827年にM. ロシェとジャン・バティスト・ヌリーよって創立され、パールと宝石の品質の高さにより確固たる名声を築く。1862年生まれのヌリーの甥ジョルジュ・モーブッサンは若くしてメゾンに参加し、1896年に経営の実験を握った。その間、1878年のパリ万国博覧会ではブロンズ・メダルを受賞する。ジョルジュ・モーブッサンはジュエリー・デザイナーでもあったがアイデアマンでもあり、リュ・ショワスールにデザインから製作、販売まで集約した本拠の1階サロンで1928年から1931年にかけてエメラルドとルビー、ダイヤモンドをテーマとした展示会を3回開催し、顧客層およびフランスとアメリカのメディアの関心を刺激した。そのアメリカではすでに1924年に、ニューヨーク・オフィスがパーク・アヴェニューに開設されていた。かくしてモーブッサンは、『ヴォーグ』や『ハーパーズ・バザー』、『ヴァニティ・フェア』誌を飾るファッション・リーダーとなる。1925年のパリ万国博覧会ではゴールド・メダルを獲得し、ジョルジュ・モーブッサンは自らのメゾンをアール・デコ・ジュエリーの筆頭に押し上げた。ニューヨークの他、リオデジャネイロ、ブエノスアイレス、ロンドンにも開設された海外支店は、息子のピエール(1900-1984)がマネージメントに当たった。彼はマスター・ジュエラーにして、航空機と自動車のデザイナーでもあったことが特筆される。メゾンはフェイマス・ダイヤモンドの“ナサック”と“ポーター・ローズ”の、さらに“ボーアルネ”エメラルドの取引でも名を挙げ、1929年のガレリアと1939年のニューヨークの展覧会で決定的な知名度を獲得、マハラジャやアラブの王侯、ハリウッド・スターたちが顧客に名を連ねた。メゾンは第二次世界大戦が終ると間もなくプラス・ヴァンドーム20番地の現在地へと移転し、オート・ジョワイユリ・ド・フランスおよびコルベール委員会に加盟していたが、21世紀に入って経営は一族の手を離れた。