ルモニエ、アレクサンドル・ガブリエル【ジュエラー/メゾン】
Leminnier, Alexandre-Gabriel
第二帝政期のパリの代表的ジュエラー、アレクサンドル・ガブリエル・ルモニエ(1808-1884)のキャリアは皇帝一族と緊密に結び付いている。彼は1850年頃にプラス・ヴァンドームで自分のメゾンを立ち上げるまでパリのさるジュエラーの許で働いていたが、1851年のロンドン万国博覧会に出展した数少ないフランスのジュエラーのひとりであった。彼が出展した2つの豪華なパリュールはスペインのイザベル女王のために製作したものだが、非常に大きな成功を収め最高賞のメダルに輝いた。これが未来のナポレオン3世から注目され、彼は大統領のさらには皇帝の御用達ジュエラーとなって第二帝政の初期に重要な用命を賜る。皇帝の結婚に際してはユージェニー皇后のために数多くのジュエリーを納入し、1853年にはクラウン・ジュエラーに指名された。1855年パリ博覧会では、一般公開用に皇帝と皇后のクラウンを製作し、シルバー・メダルを獲得した。彼はオスカル・マサンらに代表される腕の立つ外部製作者の協力も取り付け、1864年にはメディナチェリ公爵夫人のエイグレット付ディアデムを製作し、1869年にはエジプシャン・リヴァイヴァルのグランド・パリュールを製作して流行に外れない健在振りを示した。彼は1878年頃にキャリアを終えるが、1851年にレジオン・ドヌール・シュヴァリエを受勲し、スペインのシャルル3世受勲者団のメンバーでもあった。